最期まで自分らしく生きたい—。それは、誰もが願うことではないでしょうか。
死を目前にしたとき、どんな医療をしてほしいか、あるいは、してほしくないか。親、そして自分自身、いつなんどき事故にあうかわからない、病気になるかわからないことを考えると、ひとごとではありません。
そこで、6月30日、医療倫理の専門家であり、医師である箕岡真子先生に、終末期ケア“看取り”の現状と課題について、お話しをうかがいました。
財産や葬儀などを遺言に記す人は少なくありませんが、終末期に望む医療、望まない医療について、家族や周囲に意思表示している人は多くありません。
例えば、口から食事がとれなくなったり、食べてもむせて肺炎を起こしそうになったりした場合に、胃から、直接、栄養を摂取する“胃ろう”。在宅介護、在宅医療をしている方のなかには、主治医に「食べられないなら、胃ろうにしましょうか?」と尋ねられ、悩む方もいらっしゃるのではないでしょうか? できる限りその人らしい生き方をさせてあげたいと思っても、認知症などによって、本人の意向がわからない場合は、とても悩みます。
自分らしい(その人らしい)生き方を、最期まで、他人任せにせず、自分で決めることができるようにするには、
◆事前に、「私はこうしてほしい」という思いを、家族や周囲の人と話し合っておく。
◆もし、自分に意思決定する能力がなくなった場合は、だれに自分の判断を委ねるか、記しておく。
医師からの説明や情報のなかから、自分にとって最後で最良の判断をしてくれる人に、自分の意思を託しておくことが重要なのだそうです。それは、死ぬことを目的にするのではなく、生きる意志を失わないためだと、話されました。終末期で有効な治療がない病に罹患してしまった場合の告知についても同じです。
事前に最期の話をするのは、とても勇気のいることです。ましてや、高齢者と改めて話をするのは、避けてしまいがちです。また、自分の最期の意思を周囲に話すことは、驚きと悲しみを生むかもしれません。しかし、お話をうかがって、自分らしく(その人らしく)生きるために、そして、周囲につらい思いをさせないためにも、重要なことなのだと思いました。