福島の子どもたちを守ってほしい

福島県の被災地を視察して その①

一見すると穏やかな農村風景だが、人影はなく、静まり返っている。
一見すると穏やかな農村風景だが、人影はなく、静まり返っている。
                                
7月20,21日、東京自治研究センターのまちづくりウオッチングに参加し、福島県川俣町山木屋地区、飯館村、南相馬市、相馬市、新地町など、原発、津波被害を受けた地域を視察してきました。
 福島原発から半径20km以遠の川俣町山木屋地区、飯館村、南相馬市などは、気象条件や地理的条件により、積算線量が高い地域があるため、計画的避難区域に指定されています。

山木屋地区をバスで抜けると、そこには穏やかな農村風景が広がっていました。一見しただけではここが計画的避難区域になっていることを忘れるほど、緑豊かです。でも、よく見ると、畑は草が茫々とし、温室の中もうっそうとしています。
田んぼには稲の葉が豊かに育っているものの、雑然としています。周辺の家々は、一様にカーテンが閉まり、人影がありません。耕し手をなくした田畑。何十年もかけて、耕してきた土地が、原発事故によって、収穫を向えることができない—。胸がつまります。
 

山木屋地区から、集団で避難されている仮設住宅で、お話を伺いました。平均年齢72歳。今まで大家族でにぎやかな生活を送ってきたのに、一家離散状態で息子夫婦や孫と別々に暮らすことの寂しさ。いつもなら朝早くから田畑に出ているのに、一日何もすることがない、いつ帰れるのか、農業を再開できるのか全くわからない不安…。涙ながらにお話しされる様子に、言葉を失います。

 山木屋で酪農をされている菅野波男さんは、
「国は避難させることだけが目的になっているのではないか。とにかく現場のデータがほしい。より正確なデータをとらなくては、町として今後の対策がとれないはず。山木屋の子どもたちは屋外では遊べない。20年、30年後に何%かの確率で発病することだけが問題なのではありません。子どもたちが成人するまで、その不安を抱いて生きなければならないことが大きな問題なのです。石原都知事も、この現状を見れば、2020年に東京オリンピック招致などとは言っていられないはず。積み立てた基金を、福島の子どもたちのために使ってもらうわけにはいかないのでしょか。」
と、おっしゃっていました。
 

 これまでの生活のすべてを失い、住まいを離れざるを得ない被災地の住民の方々の現状を思うと、国はもちろん、各自治体や市民の長期的な支援や協力が必要だと、改めて感じました。