5か月経過した東日本大震災。市民ができること

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、地震・津波被害、さらには原発災害も伴って未曾有の巨大複合災害となり、直接の被災地ではない都市に住む私たちの生活や価値観も一変させました。それから5ヶ月以上が経過し、現地では、ようやく復興にむけての動きがはじまったばかりです。 都内では、今回の地震・津波災害や放射能汚染をテーマにした講演会、学習会がさまざま行われています。私が参加したいくつかをご報告します。

 8月7日 東京フォーラム「東京に避難してきた子どもたちを支える」
 〜出身地・避難先・子ども・養育者・支援者の連携を求めて〜

 内閣府の発表によると、7月14日現在、全国各地に避難している方は91,552人、都内では、6600人以上の方が生活しているといわれていますが、子どもの数の把握はされていません。さらに、放射能汚染の長期化でこの夏休みを機に、福島県等から避難する子どもの数は増えているという新聞報道もあります。
 フォーラムでは、東京へ避難した子どもたちを支え、自治体・子ども・養育者・支援者がどのように連携していくかなどについて実情と課題の報告、心のケアについて臨床心理士の講演がありました。また、避難している方々の声も直接うかがいました。
長引く避難生活と先行きの見えない不安から、子どもに目をかける余裕がなかった、障がいを持つ子どもが新しい学校に慣れずに発していたSOSに気づけなかったなど、母親、家族がかかえるストレスが、子どもたちに大きな影響を与えていることを痛感しました。お母さんの中には、カウンセリングを受けている方もいらっしゃいます。被災地で暮らす子どもたちはもちろんですが、全国各地に避難してきている子どもたちの心のケアも配慮し支援する必要があります。
生活者ネットワークでも国立、国分寺市内避難状況を調査したところ、保育園や小中学校等にも、10人以上の子どもたちが通っていることや妊娠中の方もいらっしゃることがわかりました。ストレスの軽減に、スクールカウンセラーの活用などを教育委員会に要望しましたが、子ども家庭支援センターでも相談に応じることができるようにするなどの対応が考えられます。子ども同士や住民同士、地域の中で支えあい、一日も早く普通の生活ができるように支援していかなくてはなりません。

 8月3日の小金井市放射能測定器運営連絡協議会見学から。

 国立、国分寺の市民の方々と、小金井市放射能測定器運営連絡協議会を見学し、お話を伺ってきました。小金井市では、1986年のチェルノブイリ原発事故による食品の放射能汚染を危惧した市民が食品の放射能測定を求める陳情を市議会に提出し、議会が市民の請願を採択。そして1990年放射能測定器を購入し、陳情に取り組んだ市民が中心となって「小金井市放射能測定器運営連絡協議会」をたちあげ、市との協定のもとで委託事業として、20年間放射能測定を行ってきました。3月11日以前は、(本来は望ましいことなのですが)農作物や輸入品からは「不検出」がつづき、これ以上放射能測定が必要かなどを問われ、協議会の存続が危ぶまれるという事態もあったそうです。しかし、今回の原発事故で、改めて調査の必要性が注目されました。
市民生活に関わることは、本来は行政がすべきですが、行政にばかり任せてはおけないと立ち上がった市民のパワーの強さ継続の意義を感じます。各地で、東日本大震災、原発事故を機に、さまざまな市民活動が立ち上がっています。市民が自ら考え、行動することが、政策につながります。
一人でも多くの輪を広げ、粘り強く訴えていく!市民パワーを応援します