一刻も早い救済と復興をお祈りしますpart2

 大きなまちの駅は節電のため改札前コンコースでの明りを半分にしています。大型のスーパーやデパートも陳列棚の商品保存に必要のない明りを消し、広告用の大型モニターを消し、節電に心を一つにしています。東京が、今までどんなに大量の電気を使用してきたかを実感するとともに、他県のエネルギーに依存して東京の豊かさがあったことをあらためて思い知りました。

 災害から3週間、いまだ被害の全容も確定できず、長引く避難生活をされている方々への心配はつのるばかりです。17年前の阪神・淡路大震災の経験から避難所生活での弱者の方への支援の重要性を学んできました。今回、仕切りのない体育館での避難生活では女性のプライバシーは確保できているのだろうか?子どもへのケアは大丈夫であろうか?しょうがいを持った方の生活支援は?介護の必要な高齢者の方のこともテレビ・ラジオで報道されているが・・。被災地外の自治体から多くの支援が行われていますが、一刻も早い支援の手が差し伸べられることを願わずにはいられません。

岩手の被害の少なかった地域から津波被害を受けた漁協の方へ支援物資を届けた人の文章(3/21)の一部を載せます。

『私たちの仲間がいる牧山と重茂の方々にはなんとか物資を届けることができました。しかしその周りには「今」の食料すら手に入らない人たちも大勢います。体育館に2000人も詰め込まれ、コンクリートに板張の床の上で毛布2枚でしのいでいる人たちの様子が連日テレビから流れていますね。私たちもそうした地域には行き着けていません。既に全国から支援物資は行政を通じて山のように届いていると聞いています。ただ、一部には届かず、ひもじい思いをしている人たちもいます。自衛隊の動きも“ちぐはぐ”な感じがしました。いらない「支援」も上からの命令で「押し付ける」し、縦の命令系統だけで事態が改善するとはどうしても思えません。
こうした状況のなかで私が感じるのは、被害の全体を目の前に私たちは微力だけれども、その力で一部の人に対してでも当座の食料や暖の確保に協力し、「次」に目が向けられる人たちを現地に作り出すことが大切なのではないかということ。私たちよそ者が体育館に支援物資を直接届けるよりも、送られた物資を地元の人たちがお互い融通できる構造を広めたいと考えます。そういう助け合う構造が地元に作れたら復興は早まります。今はそこまで考えられないのが心に傷を負った現地の被災者の皆さんなのですが…』