封筒の裏に、「家へかへりたいわ」とこっそり 「子どもの見た戦争 手紙が語る学童疎開」から

三木由希子さんと

7月末に東京都公文書館をN PO情報公開クリアリングハウスの三木由希子さん、東京・生活者ネットワークの仲間とともに視察。その日は、市民自治の礎となる公文書等の情報公開の課題取り組みへの視点で見学をしました。

ちょうど8月11日(月)〜9月12日に「子どもの見た戦争 手紙が語る学童疎開」という資料展示が開催されることがわかり、先日(18日)、再度訪問しました。
 
東京都が保管している公文書の他に、今回、学童集団疎開していた方から寄贈された手紙なども展示しています。小さな展示ですが、とても有意義でした。
 昭和19年(1944年)5、6月、国は、小学3年生から6年生を全国で60万人、学童集団疎開することを閣議決定しました。
東京都からは、そのうちの3分の1にあたる20万人の子どもが集団疎開することになりましたが、疎開先を割り当てる文書は極秘。なぜなら、それほど切羽詰まった戦局にあることを人々に知らせるわけにはいかなかったからです。
 費用は国と都が負担しましたが、一人につき月10円払わなくてはならず、病気だったり身体が不自由な子どもは疎開の対象にはならなかったそうです。
 

 手紙には、「ないしょ」と書いて「お菓子を送ってほしい。なかったらいいです」などと遠慮しながらも子どもらしい言葉がありました。封筒の裏に、「家へかへりたいわ」という文字が書いてありました。手紙は先生の検閲を受けます。メソメソしていたら「兵隊さんは頑張っているのだから」と叱られるのを逃れるために、見つからないようにこっそり書いたのだそうです。
 
 ああ、何ということでしょう。
子どもたちがそんな思いをする戦争。二度と、二度と起こしてはなりません。
 
 
東京都公文書館は現在、世田谷区・旧都立玉川高校に仮移転中。(地図
実は、都は2019年度中のオープンを目指し都立武蔵国分寺公園西側の都有地に移転することを決めました。中央線の西国分寺駅からはすぐ近くです。多摩地域に住む私たちには、都の情報が物理的に身近になることだけでも大きなチャンス!と感じます。